天使の涙:


初めて君と会ったのは、僕が入院していた病院の屋上。


僕が足を骨折して、病院でギプスを嵌めて一晩入院することになったあの日。

時間にすればたった半日だったけど、病室でぼーっと寝ている時間が続いてあまりにつまらなかったから、夕方になって、僕は松葉杖をついて屋上に向かったんだ。


11月の寒空の下。

後一歩、踏み出せば落ちてしまいそうな、危険防止のフェンスを越えた先の方。

そこに、空をじっと見つめる君がいた。

君は、そこから今すぐにでも、飛び立ってしまうんじゃないかと思うほど

儚く真っ白な姿だった。

その背中に見えるはずのないものが透けているかのごとく。


例えるなら、そう・・・・天使。


天使は人と神を繋ぐ使者だと言う。

君には、僕には見えない何かが見えてるような気がした。

空を見上げる君の視線の先を、僕も見たいとその瞬間、思った。


「何を見てるの?」


先に声をかけてきたのは、君だった。

気になっていたのは僕で、その台詞は僕の物だったのはずなのに。

その目はじっと僕を見つめていた。


「何って・・・君を。」

「どうして?」

「そんなトコにいるから・・・危ないなぁって。」


嘘だ。

本当は、危ないなんてこれっぽっちも思ってなかった。

その姿にただ見惚れていたんだ。


「危なくないよ。気持ちいいんだ。」


風に色素の薄い金に近い綺麗な色した髪が靡いていた。


「君も患者?」

「ん?・・・そうだよ。君も?」

「ああ。見た目通り。足、骨折して。君は?」

「・・・病気。」

「いいの?外に出ても。」

「平気。外の方が気分が良い。」


病気の身体だとは思えなかった。

しなやかな身体の線から生み出す光が、君を包み込んでいた。

僕は素直に美しいと思った。

そんな形容詞を使ったのは初めての事だ。

ますます僕は君が天使なのではないかと思った。


「おいで?」

「え?」


連れて行かれる・・・そう思った。

何処へだかは分からないけれど。


「此処に来てごらん?」


君の言う此処に僕は誘われるように立った。

強めの風が吹く。

フェンス越しに町並みを見た。

其処には今までとは違う世界が広がっているように思えた。

今までに僕が目にした風景と違うのは

ただ、君が其処にいたという事だけだったのに。


「寒くないの?」

「平気。」


それでも気になって、羽織っていた上着を君の肩にかけてみた。


「ありがとう。」


華奢な背中

其処に見えるはずのないものが見えた気がした。

僕の貸した上着でそれが隠れて、何だかホッとした。


「風邪ひいちゃ、病院にいる意味なくなっちゃうだろ?」

「そうだね。」


また君はじっと空を見た。

此処にいる僕なんて、本当は見えてないんじゃないだろうか。

僕は、少しだけ、君の瞳の先に嫉妬する。


しばらくして、母さんが屋上に呼びに来た。

検査の時間らしい。


「いつも、此処に来てるの?」

「ん。」

「明日も?」

「多分ね。」

「俺、明日退院して、これからは通院するから。また・・・」

「また?」

「・・・」


次の約束なんて、何故取り付けようとしたんだろうか。

会って間もない君に。

また会って、どうしたかったんだろう。


「待ってる。」

「え?」

「また、来てくれるんでしょ?」


君の瞳がほんの少し微笑んだ。


「うん。来る。」


ただの口約束がこんなに特別だと感じたのは初めてで、

あれから僕は毎日のように君に会いに来るようになった。



「ねぇ、君、名前は?」

「・・・内緒。」

「何で?」

「その方が、面白いでしょ。」

「・・・そうかな。」

「名前なんて、いらないよ。君がこんなに近くにいるんだから。」

「じゃあ、僕の名前も言わない。」



君はいつも不思議だった。

だけど、僕は名前も、年も、生年月日も、生まれた場所も

それ以来、君に聞かなかった。

君のことならどんな些細なことでも知りたい、そう思ってはいたけれど、

謎だらけの僕達の関係は何故かとっても楽しかった。


君の目は言葉以上にお喋りで

でもそれは、音ではないから煩いと感じる事はなくて。

1つでも、その仕草を見逃さないように

君の声を聞き漏らさないように

僕は夢中になった。

それは多分、君も同じだったんじゃないかなと思う。


「ここから見える空はね、いつも穏やかなんだ。」


珍しく君が明るく大きな声で言った。


「そうだね。とっても綺麗だし。」

「此処の屋上には雨がない。」

「どうして?」

「風邪ひくでしょ?病院にいる人が雨の日に屋上に出てくることは少ないよ。」

「ああ。そういうことか。」

「そう。だから、此処からは空の穏やかな部分しか見えないんだ。」

「でもさ。雨にも穏やかな雨もあるじゃん。」

「そうなの?」

「そうなんじゃない?」

「ふーん・・・。」


君が楽しそうに僕の話を聞いていた。

雨が穏やかだなんて、本当は1度も思った事はなかったけれど、

君といるといつも楽しくて、ドキドキして。そして、とても満たされていたから

そんな言葉が出てきたんだろう。


「君に会ってから1度も雨降ってないね。」

「そうだね。」

「雨だと会えないから都合がいい。」

「雨だと会えないの?」

「会えないよ。」

「何で?」

「僕は此処にしかいないから。」

「雨でも会いに来るよ?」

「それはダメ。言ったでしょ?風邪をひくから。」

「じゃあ、雨降らないようにおまじない。」


おまじないなんて適当な言い訳を繕って僕は初めて君の頬にキスをした。

君の頬が薄く桃色に染まった。


「おまじない・・・なの?それ。」

「そう。」

「じゃあ・・・僕も。」


同じように、君も僕の頬にキスをくれた。

何だか、酷く照れた。

2人して顔を赤くして俯いて・・・

それから顔を上げた瞬間、どちらからともなく唇が重なった。



その日は、初めて明日も会おうと約束をしなかった。

甘い口付けに浮かされて、明日も会えると勝手に決め付けていたんだ。


次の日は1ヶ月ぶりの大雨だった。


雨が降ったら会えないと言ったけれど、

君がいるような気がして、いつもと同じ様に屋上に向かった。


君はいなかった。


会えないと思ったら、どうしても会いたくて

あのキスの余韻に浸りたくて

必死に君を探した。

病院中を探したけれど、君を見つける事は出来なかった。


雨はそれから3日続いた。

3日間、探し続けたけれど、君は何処にもいなかった。


君に会えなくなってから4日目。

ようやく、雨は上がった。

僕は急いで、君に会いに行った。

君はいつものように、其処にいた。


「やっと、会えた。」

「やっとって・・・たった3日だよ?」

「僕、どうしても会いたくて、3日間、探し回ったんだ。」

「うん。」

「会いたくてしょうがなかった。」

「僕も。」

「じゃあ、何で会いに来てくれなかったんだよ?」

「ごめんね。でも、僕は君を見てたよ。」

「え?」

「君が僕を探してくれてる姿も見てた。」


あまりに平然と君が言うから、僕は無性に腹が立った。


「僕が必死に君を探してたの知ってて、見てたって・・・」

「だって・・・」

「酷いよ。」

「ごめんね。でも・・・」

「いいよ。君はそれほど僕に会いたくなかったんだろ?」

「そうじゃないんだ、でも。」

「もういい。今日は帰る。」

「待って!」

「じゃあね。」


今日も次の約束はしなかった。

だって、すごく寂しかったんだ。

会いたいと思っているのは僕だけで、君はそう思う気持ちを持っていない。

アンバランスな想いはシーソーのように

僕の方だけ重く、傾いて

君との距離を思い知ってしまった。

そう。

君は天使だったんだ。

其処には僕は辿り着けない。

何処にでもいるような人間の僕なんかとは

初めから釣り合うはずなかったんだ。


卑屈になった僕は、それから3日君に会いにいかなかった。


僕が会いたくて会いたくてたまらなかった3日間の想いに

少しでも気がついて欲しかったから。

そして、結局は、僕が3日しか会えない時間を我慢出来なかったから。



この3日間で気付いた事があった。

君は僕が会いに行った時、いつも屋上にいた。

僕の会いに行く時間は何時も同じ時間という訳にはいかなった。

朝だったり、夕方だったり。

それでも君は其処にいた。

君がいなかったのは雨が降った時だけだった。

君は患者だと言ったけれど、

どんなに探しても病院内で君を見つける事は出来なかった。


君は一体誰なんだ?


何も知らなくても君がいればそれだけで楽しい。

そんな時間は終わってしまったようだ。


僕は君を知りたい。

君と同じ場所に行きたい。

僕の心はただ君を求めた。



君と喧嘩してから4日目の朝。

僕は君に会いに行った。


晴天の空の下。

君はやっぱり其処にいた。



「あ・・・」

「もしかして、昨日も一昨日もいたの?」

「・・・うん。」

「ごめんね。」

「ううん。気にしないで。」


君がにっこりと微笑んだ。

その顔がとても綺麗で、

でも何処か寂しげで、

僕は、君との暗黙のルールを破ってしまった。

僕は、君にもっと近づきたかった。


「君は誰?」

「・・・・・」

「どうして、いつも僕が此処に来る時が分かってるみたいに待っててくれたの?」

「・・・・・」

「何で、雨の日は会ってくれなかったの?」

「・・・・・」

「君の名前は?」


君の返事を急かすような質問責め。

しばらくして、無言だった君の頬に雫が零れ落ちた。

大好きな君を泣かせてしまった。


「ごめん。」

「ううん。」

「でも、知りたいよ。君の事が。」

「・・・・・」

「知りたいんだ。」


さっきまでの笑顔が悲しみに染まった。

こんな顔が見たかったわけじゃなかったのに。


「怖かった。」

「え?」

「嫌われたくなかったから。」

「嫌う?僕が?」

「そう。」

「そんなことあるはずない。」

「でも、皆は言うよ。嫌いだって。」

「え?」

「僕は嫌われ者だから。」


僕は君に一目で恋をした。

ずっとずっと君といられる毎日が続けばいいと願うほどに。

けれど、他人は君を嫌うと言う。

どうして?

僕は首を傾げて、君に言う。


「君を嫌いだなんて思う人いないよ。」

「いるよ。たくさん。」


君の目から、溢れ出るように涙が流れていた。


「だけど、君なら僕を好きになってくれるかもしれないと思ったんだ。」


肩を震わせながら涙声で君は言った。


「あの日、雨を穏やかだって言った君なら。」

「雨?」

「僕は雨を降らせる。」

「え?」

「僕が外にいる時、こうして君と会っている時は雨は降らない。

けど、いつもそう言う訳にはいかなくて、僕は空に還って、

雨を降らさなきゃいけない。

その度に皆は雨を嫌がるんだ。」

「雨を降らせるって・・・」


君は空を見上げた。


「もうすぐ、大きな雲が此処を通り過ぎる。

そしたら、僕はまた空に還って雨を降らせるんだ。」

「君は一体・・・」

「君にだけは嫌われたくなかった。

だから、ずっと、このまま、何も言わないでいれたらって思ってた。

ズルイって分かってたけど。」

「僕はそんなことで君を嫌いになったりしない。」

「でも・・・」

「本当の事を言えば、雨なんて好きじゃなかった。

濡れたら風邪ひくし、傘持たなきゃいけないから荷物増えるし。

でもさ、あの日

僕はそんな雨も好きになれそうな気がしたんだ。

君と一緒なら僕はどんな明日も好きになれる。

それって凄くない?」

「・・・僕と一緒なら・・・」

「そう。雨の日でも、晴れの日でもいい。

僕が求めるのは君だから。」

「雨の日はこれからも君と一緒にいられない。

それでもいいの?」

「会えない日は、君を想う気持ちが強くなる。

雨、早く止んで欲しいって思ってしまうかもしれないけど

それでも、会えなくても君は僕を見てくれてるんだろう?

それなら雨の日だって好きになれるよ。」

「雨を好きに・・・ホント?」

「うん。」


君の顔には相変わらず涙が流れてる。

でもさっきまでとは意味が違うようだ。


「嬉しい。」

「うん、僕も。」

「ずっと一緒にいていいの?」

「僕の方こそ、一緒にいてくれるのって聞きたいんだけど。」


君の顔に笑顔が戻った。


初めて会った時の、すぐにでも飛んでいってしまいそうな姿じゃなく、

その時の君はとてもキラキラしていて

それはまるで雨あがりに虹が架かったようで。


「ありがとう。」


君が幸せそうに笑うから、僕も思わず笑った。


「じゃあ、まず初めに、名前から。」

「え?」

「これからもっと君を知って、僕のことも知って欲しいから。」

「・・・うん。」

「じゃあ、先に聞いていい?」

「うん。」


君のことを1つでも知ったら、信じてもらえるかな。

僕はこれから、もっともっと君を好きになるから。


「僕の名前は雨季。」


その名の響きは僕にはとても優しかった。

君をどんどん好きになる。

君ももっと、僕を好きになって。


「僕の名前は晴。」


対称的な僕等。

けれど、出会うべくして出会ったのだと思う。


君が、土砂降りの雨に濡れて震えているなら

僕が暖かく包んであげる。

もう君が一人で悲しまなくてすむように。



僕は近づく大雨に備えて、新しい傘を買った。

僕のお気に入りになるように、君に似合いそうな真っ白な傘を。




side.u

雨の日は君を濡らす雫になる。

あの日、僕を探していた君の身体を冷たく濡らしたのは僕で、

これからも僕は君に温もりをあげられない。

それでも、君が泣きそうになった時は、君の涙の代わりになってあげるから。


君に悲しみの雨が降らないように。

僕は祈る。ただ、それだけを。

そして、僕はまた一つ、君に明日も逢えるようにと願いをかける。




<後書き>

オリジでは初の短編です。思ってた以上に長くなったけど(笑)
名前が最後に出てきましたが、ウキとセイと読みます。(念のため)個人的に言えば、あまりこういうファンタジーっぽいお話は好きではなかったんですが、いざ書いてみると楽しくて(笑)けっこうお気に入りになったかなぁと♪
宜しければ感想、聞かせていただけたら嬉しいです!!
友達に、結局、雨季の正体は何なの?聞かれました(笑)・・・うーん、何でしょう(笑)それもファンタジーってことで。(オイ;)ホントは決めてあるんですけども、あえて書かないことにしました。ご想像にお任せしますv