残像:3


去年の夏。

8月にしては涼しい曇り空の日。
明日香の葬儀が行われ、僕から連絡の入った涼平は久しぶりに実家に帰ってきた。

「変わらないな、ゆず。」
「そう・・・かな。涼平は変わった気がする・・・」

着慣れない黒いスーツを着て、ネクタイを締め、明日香に最期の別れを告げる日に、僕等は再会した。もしかしたら明日香がもう1度逢わせてくれたのかもしれない・・・そう思えた。

久々に逢う涼平の顔は僕にとっては全く知らない人のものに見えた。
僕はあの頃のまま、何一つ成長出来ずにいるのに。

「大変だったな。大丈夫か?」
「うん・・・もう、だいぶ落ち着いた。」

心配させないようになるべく冷静に答えたつもりだったけれど、巧く騙せていただろうか・・・いや、きっと無理だ。涼平には全てお見通しだっただろう。

昔から僕のことをいつも気遣ってくれるやつだった。誰よりも僕のことを一番に心配してくれてた。そんな優しさを友情という言葉で片付けて、その本心に気付かずに甘え続けていたのは言い訳のしようのない明らかな罪で、僕は涼平にもう1度逢うのを少し恐れていた。

「ちょっと、話そう?久しぶりだし。」
「ああ。でも、いいのか?」
「・・・少しくらい平気だよ。」

そう、涼平に告げて、昔よく待ち合わせ場所にしていた児童公園に誘った。葬儀に訪れる人の群れに疲れてしまったのだろうか、二人で静かに話したいと思った。
身内に断りを入れて、涼平と2人そっと明日香の家から抜け出した。



公園に来るのは随分久しぶりだった。明日香の家から3分足らずで着く程の近場にあるのに、大学生になってからは寄り付きもしなくなってしまった場所だ。そういえば、この公園で待ち合わせしようと誘うのは、いつも涼平だったんだ。

「この間は悪かった。」
「何のこと?」

公園のベンチに腰を下ろすと、涼平はすぐさま、僕に謝った。
涼平の言おうとしていることはよく分かっていたけれど、分からないフリで聞き返した。

「変なこと言った・・・あん時。」
「ああ。」
「・・・ごめん。」

謝らなきゃいけないのはその気持ちに全く気付かずにいた自分の方だと分かっているのに、先に謝られてしまい、僕はただ頷くだけしか出来なかった。

「気持ち悪いだろ?あんな・・・」
「そんなことない。・・・驚いたけど、そうゆうのは全然・・・」
「そっか。・・・サンキュ。」

涼平の肩が少さく揺れていた。きっと僕以上に緊張していたのだろう。しばらくすると自然に力が抜けていくのが見て分かった。

「・・・どうして?」

僕の口は勝手にそう尋ねていた。

「何で、明日香じゃなくて俺なの?」
「え?」
「だって・・・わざわざ男の俺を好きにならなくても・・・・」
「・・・そりゃ明日香を好きになってたら、ちゃんと面と向かって告白して、ダメだったら綺麗さっぱり諦めて・・・きっとこんな嫌な自分にならずに済んでたと思うけどな。でもしょうがねぇだろ?こればっかりはさ。・・・お前なんだよ、好きなのは。」
「・・・涼平。」
「あ、別に返事とかいらないし。これは俺の自己満足だからな。あのままにしといたら明日香にも中途半端過ぎて怒られそうでさ。ホントはお前に告白した後、アイツの目の前で謝りたかったけど、せめて・・・」

強張っていた表情が僕のよく知っている穏やかで優しい表情へと戻っていく。

「明日香のことは本当に大事な友達だったんだ。だからお前らのこと応援してた気持ちも嘘じゃないんだ。ずっと2人で仲良くいて欲しいって思ってもいたし。」
「うん。」
「でも、俺、好きになったら他のモン見えなくなるみたいでさ、お前といつも一緒にいる明日香に嫉妬した・・・。本当はずっとゆずは俺のモノだって心の中で叫びたかった。」
「・・・涼」
「好きだったよ、柚希。・・・ちゃんと言えて良かった。お前、キツイ時にこんなこと・・・ごめん。でも、どうしても今日じゃないとダメだと思ってさ。」

あの時の電話の苦しそうな声は何処にいってしまったんだろう。たった数ヶ月で、全てを完結させてしまうつもりなのか?
僕はあの残像に一生縛られるかもしれないのに。なんで、そんな簡単に・・・。

「涼・・・俺・・・」
「ん?」
「・・・もう・・・・ダメなんだ。」

涼の晴れ晴れとした笑顔は僕の理性を溶かして、出てきてはいけない何かを呼び覚ましてしまった。

僕のダメだと言う言葉を涼平はきっと履き違えて受け取っただろう。明日香がいなくなって、ダメになった・・・と。
けれど、本当は―――――それは絶対に言わない。

「卒業したら・・・一緒にいてくれないかな。」

僕の逃げ場はいつも涼平だった。
またこんな重い荷物を背負わせるのかと自分を責める気持ちなどその時の僕には欠片ほどもなく、さも当然のことのように甘え、擦り寄ろうとする。

“一人で自由になんてさせない・・・涼平はいつも一緒だ”

思わず力を入れて涼平の手をぎゅっと強く握った。
―――この手を離したら、きっと遠くへ行ってしまう。自分だけが取り残されてしまう。
そう思ったら手段など選んでいる暇は無かった。
あの一瞬のあの人の横顔に囚われて、僕の視界には黒い霧がたち込め、抜け出せないまま光を探し彷徨っている。そこから逃れられるなら、例え親友でさえ、こんなにも容易く利用してしまえるのか。

「俺、一人じゃおかしくなりそうなんだ・・・」
「ゆず・・・」

困ったように僕を見つめる親友の顔を目を瞑り、遮った。
僕は好きだと言われたから、ちゃんと応えるだけだ・・・そう自分に言い聞かせて。


僕はこの時、川原柚希という人格を葬った。
明日香を確かに愛していた今までの川原柚希の魂は明日香にそっと寄り添って、ずっと傍にいられるように願っている。
そして、僅かな残り滓になったこの身体と欲は、これからの最悪な人生の幕開けに備えて涼平の背中に手を回し、器ごと放り投げてしまえばいい。

躊躇しながらもそっと、僕の背中に触れる手に安心して、あの時、僕は消えゆく僕自身にその日2度目の別れの言葉を心の中で呟いていた。



“こんな僕でも好きでいてくれる?”

さすがにそれだけは、今の僕には聞けやしない。




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