残像:8


実家に帰るにはバスに乗り換えなきゃいけない。そのバスも1時間に2本と少なくて、待ち時間とばかりに駅の喫茶店で時間を潰すことにした。
この喫茶店に彼と入るのは2度目だ。前に来た時は明日香がいた。何だか寂しいやら、懐かしいやらで、ぎゅっと胸が詰まった。


店に入ってすぐ、客のあまりいない1番奥のテーブル席についた。カナさんは僕が人に酔うのを知っている。出来るだけ人の少ない所を、と気遣ってくれたのだろう。
―――変わっていない、何も。
この人は今の僕にも昔と同じ様に優しい。
けれど、こんな優しい人も全てを話したらどうなってしまうのだろう…。
想像したら怖くて、怖くて・・・思わず強張った身体を自分で抱きしめ、そんな自分の心中を気取らせないようになんとか落ち着きを取り戻してから、ゆっくりと話を切り出した。


「すっかりご無沙汰してしまって・・・おじさんやおばさんはお元気ですか?」
「ああ。すごく元気だよ。」

カナさんは僕をゆーくんと呼んでいた。
明日香とカナさんのお母さん…真智さんの関西の実家では柚子のことをゆーと呼んでいたらしい。そのせいか、真智さんとカナさんは僕をゆーくんと呼んで、可愛がってくれていた。
懐かしい愛称が妙に切なかった。変わらない態度で僕を受け入れてくれる姿勢がそこにあった。捻くれてしまった今の僕には、“変わったのは僕だけ”そう言われているような気がして、思わず俯いてしまった。

けれど、そんな僕の耳に、聞こえてきたのは意外な言葉だった。

「ゆーくん、変わらないね。そうやって、ゆっくり丁寧に話そうとしてくれるところ。」
「え?」
「さっき、電車で会った時は、なんか空気・・・っていうのかな、あの頃とちょっと変わったように思ったけど、こうやって話してみるとあんまり変わってなくて、何だかちょっと安心したよ。」
「変わって・・・ないですか?」
「ああ。変わってないよ。明日香と一緒にいてやってくれてた頃の君のままだよ。」

目の前にいる人は1年前に中身を捨てたからっぽの僕を変わってないと言ってくれる。
なんだか申し訳なくて、居た堪れなかった・・・・。
変わってないはずが無い。あの頃の僕はもうここにはいないんだ。

優しさを受け入れるのにすっかり臆病になっていた僕は思わず、自嘲気味にカナさんの言葉に反発していた。

「俺は・・・あの頃とは違います・・・全然、違うんです。明日香に顔を合わせられなくて、実家から逃げて、友達の家に転がり込んで、時間が止まったみたいに・・・全然違うんですよ・・・ホントに。こんなタイミングで貴方と顔を合わせるなんて思ってなくて・・・今、どうしようもなく、とにかく何処かへ逃げ出したい気持ちでいっぱいなんです。」
「逃げたいの?・・・何から?」

僕の言葉に耳を傾け、僕の言葉をじっと待ってくれる・・・そんな声。
じわじわと沸き起こる残酷な感情。
捻くれてしまった僕は優しいカナさんがどこまでなら許してくれるのか試してみたくなる。

「・・・全部。」
「全部?」
「何もかも、もういらないんです。」
「そう。」

呆れられただろうか。幻滅されただろうか。・・・思わず、僕は怖くて目を瞑る。


「だから、降りるの止めようとしてたんだね。」

ハッとして、僕はカナさんの顔を見た。予想していない言葉に頭をガツンと殴られたような衝撃が走った。
見られていた。逃げ出す瞬間を・・・初めから分かっていてこの人は声を掛けたのか?

「な、なんで・・・」
「本当は君が1度、荷物を取ろうとして立ち上がった時に見つけたんだ。でもその時は人が多くて、なかなか近くに行けなかった。次に君を見た時、また君は荷物を棚に戻そうとしてた。何だか、声を掛けずにいられなかったよ・・・君がこのままどこかに行ってしまいそうに見えて。」
「・・・そうだったんですか。」
「僕も明日香の兄だから・・・やっぱり、ね?」

明日香を想い、優しく微笑んだ兄の顔。僕はこの人のこういう表情が好きだった。明日香への愛情を感じる表情。

「・・・すみません。」
「謝ることないよ。」
「でも・・・」
「君が何を恐れているのか、何を抱え込んできたのか・・・その半分くらいは分かってあげられるつもりだから。恋人がいなくなったんだ。それだけでも君には十分理由がある。」
「カナさん、お、俺は・・・」
「いいよ。無理して言わなくても。」

すっとカナさんの手が伸びた。
さわさわと頭を撫でるその手に僕は一目も憚らず泣き出したいくらいに癒された。



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